将 来あした が 危 な い

明日では遅過ぎる。でも今なら間に合うかもしれない。


あなたは将来に不安を感じたことが無いないだろうか。あしたが危ない、もしかすると将来は無いんじゃないかと、私は心配でならない。


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日本が危ない

 

世にも恐ろしい数字

 「リアルタイム財政赤字カウンター」を開いてみて欲しい。借入金,政府短期証券を含む「日本全体の債務残高」、「国および地方の」長期債務残高、「国の」長期債務残高が、リアルタイムで表示され、数字は刻々と増えていく。試みにトップの「日本全体の債務残高」の「国民一人当たり」にチェックを入れてみよう。国民とは、生まれたばかりの赤ん坊から、臨終の床にある老人までを含む全ての日本国民だ。2010年6月27日15時現在、驚くなかれ、867万8476円だという。経済ジャーナリスト財部誠一氏の日本の借金時計によれば、一家庭当たりの負債額は1577万1651円だという。家1件分に相当する!

 去年の衆議院議員選挙で、日本国民は政権交代を選択した。自民党に代わって政権の座についた民主党は、税収減を無視して垂れ流し政策を行ない、財源を借入金に求めている。国の赤字は旧政権の自民党の作ったものだと言うが、民主党もやっていることは大同小異だ。もしあなたの家計が、支出が収入の倍で、しかも支出の2割を返済に当てるとしたらどうだろう。これ以上金を借りようとしても、誰も貸してはくれまい。そんな状態にあっても、収入を増やして支出を減らそうという努力をしなかったら、残るは自己破産しか無い。

 個人が消費者金融などから金を借りるには、2010年6月18日から年収の3分の1までと制限された。もし国に適用されたとすると、平成22年度の税収36兆円の3分の1の13兆円が限度だ。ところが実際は、税収の36倍の借入金があることになる。これが会社なら、とおの昔に潰れちゃったはずだ。子や孫はこのツケをどう解決するのだろう。一昔前のアルジェンチンや、最近問題になっているギリシャのようになっちゃうのだろうか。

 いや、そんなことはないと経済や政治の専門家たちは言う。難しい理論を色々並べて、私たちを煙に巻いてしまう。何となく分かったつもりになって納得してしまうのは、私たち日本人の悪しき性である。もし専門家の言うとおりなら、そもそもの国債を発行しないで済んだはずだ。それとも超インフレ政策で、貨幣価値を下落させようというのだろうか。戦時国債で痛い目にあった人たちは、ほとんど死んでしまった今日だから。

 2010年6月にカナダで開催されたG20において、先進国は2013年までに財政赤字を半減すると共同宣言した。だが日本は、一律の目標には従えないと反発し、結局例外とされたのだ!G20は、日本を例外扱いしてでも、宣言することに固執した。ハーパー首相は、日本の国債の95パーセントが国内で引き受けられていることを理由としたと伝えられるが、実際はどうにもならない債務超過で、世界の趨勢に協調できないというのが実情だ。菅直人首相はサミット後の会見で「財政再建策のスケジュールは各国から積極的に受け入れられた」と述べたが、そのスケジュールが国民の承認を得たものでないのは、総理大臣として権力の乱用である。危機感を持って、財政再建に取り組むべきだ。例えば、国会の議員定数を半分、もしくは3分の1に減らし、垂れ流しやばらまきを止め、省庁の人員を削減し、公社公団を民営化し、減反政策を取りやめて耕地を回復して地産地消を推進し、高級品や贅沢品への間接税を復活させるなどの施策を行なえば少しは効果があろう。将来の展望の上に経って、国民に多少の耐乏生活を望むことも必要であろう。防衛予算は、最低限度にとどめる。後で『憲法9条の謎』で述べるように、個人的には自衛隊は憲法違反だと判断している。経費削減の効果が確実になったところで、消費税を増額し、増額分を国民の老後の資金に充当すれば、諸外国から例外扱いされても、どうにかやっていけるのではなかろうか。


 

ダムはムダ?

 ダムは本当にムダなのだろうか?確かにダム建設は、地球環境の破壊以外の何ものでもない。ダムは、ムダ以上の愚行である。民主党政権はマニフェストにうたったダム建設中止を強硬に実行した。だがしかし民主党は、八ツ場ダム建設の経緯をどう考えているのだろうか。1949年に建設省で計画され、1952年に計画が発表された。当初からほとんど全ての地元民は、建設に反対だったが、国の執拗にして強硬な懐柔によって、泣く泣く受け入れたのだ。決して賛成したわけではない。祖先の墓も住む家も移し、仕事も変え、ようやく新しい生活を模索しはじめようとしたこのとき、建設を中止するというのだ。

 2010年6月に発表された民主党の参院選マニフェストでは、八ツ場ダムなど全国のダム事業を「中止方針を表明しているが、予断を持たずに事業を検証する」と明記している。実現の可能性の疑わしい選挙公約だが、「予断を持たず」とは、建設を続行するとか中止するということを前提としないことを、「検証する」とは、詳しく調べて正確に証明することを意味すると解釈できる。とすると、中止と決定したこととは裏腹に、僅か数ヶ月で、もう一度考え直そうというのだろうか。朝令暮改は現政権の顕著な特徴だが、そういう一貫性の無い、言い換えると無節操な政治思想で、果たして日本国の将来が展望できるのだろうか。

 八ツ場ダムには利権や政党や官庁の沽券以外にも大きな問題がある。そもそも吾妻川は、酸性度の高い水質で、中和のための石灰を、水源の上流の品木ダムで間断なく混和しなければ飲用にはなり得ないのだ。飲用にならないばかりか、農業用水にも使えないし、水力発電の機械部分を腐食して、耐用年数をいちじるしく低下させる。投入した石灰は、ダムに沈殿して、最終的には捨て場の無い汚泥となる。

 八ツ場ダムが完成したとしても、それを適切に管理し、維持するには、莫大な経費が必要になる。各地のダムでもそうだが、ダムは自然に反した巨大な構築物であるがゆえに、ダム内部へ流入した土砂と石灰に起因する汚泥の堆積が起こる。これを下流に流せば、農業や漁業に甚大な被害を与える。下流に流さずに常時浚渫を行なうとすれば、これまた莫大な費用を要する。国家経済に与える損失を無視してはならない。

 もし建設中止のまま、既に相当程度進捗した付帯工事のみを完成させるとすれば、ダムの無い状態の中で、あらかた完成した空中楼閣的な橋や鉄道を活かさなければならない。その結果、現在の居住地域からは、高くて離れた駅を利用しなければならないことになる。そもそも計画そのものが、百年二百年後の将来を見据えたものではなかった。自民党であれ民主党であれ、将来を考えない目先だけの政策は、無政府状態よりも始末に負えない。

 

離農者や耕作放棄地

 誰が日本国の政策を立てるのだろうか。政権与党、その内閣か、国会か、政治に関心の薄い日常から深く考えていなかったが、ふと気づいたら、どうやら官僚が政策を立案するらしい。まれに議院立法という言葉が聞こえてくるところを見ると、議会が中心になることも無きにしもあらずのようだ。いずれにしても、国の将来にかかわる最も重要な農業政策も、責任がはっきりしないままに、減反、減産が進む一方で、大規模な干拓事業で耕地を作り出している。何という矛盾だろう。

 飽食の時代だというのに、日本国の食料自給率は4割を切ってしまった。溢れかえる食料品の多くは、実は国産ではない。どこかの貧しい国の農民が作って、本来彼らが食すべきものを、大金をちらつかせて買い取ってきたものだ。あげくに食べ放題というムダな贅沢をしていて、将来に禍根を残さないのだろうか。

 今私の住む地域を見渡すと、休耕中か耕作を放棄された田畑がそこかしこに点在する。耕作している人の多くは高齢者で、後継者がいないため自分たちが最後になるのではと心配している。先日米どころ新潟県の従兄弟を訪ねたおり、同じ状況だと嘆かれた。一体日本の農業はどうなるのだろう。国が経済的破綻を来したとき、どこの国が食料を輸出してくれるだろうか。

 農村の高齢化と過疎化は、他にも原因があるとは言え、減反政策によるところも多い。一旦耕作を休んだ田は、再び水田に返すことがたいへん困難になる。病気や怪我と同じで、油断は一瞬でも、回復には数ヶ月かかるのが普通で、時には回復しないこともある。もし棚田のどれか一枚が耕作されずにいると、残った田も蝕まれていく。病気が蔓延するのと全く同じだ。

 農村の後継者不足は、農業に魅力が無いからでもある。生物としての人間の最大の関心事は食と性だが、その食の生産者が、将来に希望が持てないようでは、自給率は更に減少するだろう。コンピューターで管理された工場で、短期間で安全な野菜が生産され、それも美味であるというから、本来農業に魅力が無いのではない。国の農業政策に、魅力を見いだす術、魅力を創出する英知に欠けているだけだ。

 食生活の変化、特に米離れが農業に与えた影響は大きい。僅か17 年前の平成5年には、米不足でタイ米を輸入したというのに、以後はずっと米が余っている。そこで減反政策があるが、減反を進めるかたわら、なぜ諫早湾干拓という大掛かりな干拓事業をも行なったのだろうか。役所仕事は、一度動き出すと止められなくなるが、民主党のダム工事中止は、良きにつけ悪しきにつけ、この慣例を打破するものである。

 食料自給率については、『食料自給率という幻想』で、経済学者で上武大学大学院教授の池田信夫氏は、「食料の輸入がゼロになるというのは、日本がすべての国と全面戦争に突入した場合ぐらいしか考えられないが、そういう事態は、あの第2次大戦でも発生しなかった」と述べている。氏は戦後の1953年の生まれで、終戦前後の食糧難を経験していないから、実情を知らないのも無理は無い。ひもじくて、隣の庭(畑ではない!)のサツマイモを盗んで食べたなどと聞いても、創作としか感じられないのだろう。都会から地方の寺などに集団疎開した小学生は、もっとひもじい思いをしたという。また氏は「そもそも「食料自給率」とか「食料安全保障」などという言葉を使うのも日本政府だけで、WTOでは相手にもされない」と述べているが、WTO(世界貿易機関)では日本政府を相手にしないという意味と解される文章で、誤解を招く。たぶんWTOでは食料自給率などを議題としないという意味だろうが、国際貿易のルールや国際紛争の処理を行う機関であるから、日本政府だけの発想と決めつけても意味はない。

 聞くところによると、日本人の腸は欧米人よりも長く、米や野菜に適した消化管だという。逆に肉食には適さないそうで、肉食が増えた結果は、大腸がん患者の増加として現れているそうだ。必須アミノ酸によっては、動物質からしか摂取できないものもあるから、ゼロにはできないが、米を中心とした日本食の長所をよみがえらせる必要がある。世界一の長寿国の長寿を支えているのは、日本本来の食で生きてきた高齢者たちだということを、もう一度振り返ってみよう。

 

砂漠化した街

 後継者不足は、農業に限らない。街を見渡すとシャッターを降ろした商店が並び、人通りもまばらだ。商店街にも後継者がいないのだ。後継者不足は、特に小売業に甚だしい。郊外の大型店に客を奪われ、家賃、光熱費、人件費を稼ぎ出すだけの売り上げが無いからだ。その結果、旧市街に住む人たちばかりか、郊外の住宅地に住む人々も、日用品や食品を自動車で買い出しにいかなければならない。高齢者や車の無い家庭はどうしたらいいのだろう。私自身、現在73歳で老妻との二人暮らし。車で買い物に出られるのは、後数年だろう。

 街が寂れるのは、商店が無くなったからばかりではない。子供がいなくなったからだ。手塩にかけて育てた子供たちは、やがて独り立ちして、親元を離れていく。それは新しい家族の誕生につながることだから、喜ばしい。がしかし喜んではいられない。本来なら子供は親と同居して、かつて親にしてもらったように、年老いた親の面倒を見るべきなのだ。まれに親と住んで、3世代の家族が同居することもある。こういう律儀な子供は、遺産相続での悪平等の故に、次第にその数を減じている。はっきり言って、親と住んで面倒を見ようという男には、嫁の来手がほとんど無い。

 街の砂漠化は、実は街を形成する家々の砂漠化に他ならない。最近は「家」という概念が希薄になり、結婚式や葬儀でさえ、個人の名前で行なわれることが多くなった。希薄になったのは家の概念ではなく、家族の紐帯ではなかろうか。戸主や家長という言葉は、ほぼ死語になった。一家は、主を必要とするほどの規模を失ったのだ。そうして兄弟の絆は脆くなり、しばしば敵対するようになる。戦後の民法に「家」が失われたことによるところが大であろう。家族制度の崩壊が家族の崩壊をもたらし、ついには個としての人格の崩壊をもたらした。

 私が子供の頃、農村部では、祖父母からはじまって、親夫婦の他に叔父夫婦と子供たちが一つ屋根の下で暮らすというのはごく普通の風景だった。子供たちは子供同士で痛みを学び、ときには大人たちに教えられ、社会生活に順応していく。古くから伝えられた知識や業を祖父母に学び、やがて次の世代へと伝えていく。今日、三世代の同居がほとんど失われ、その結果伝統が失われ、人の痛みを知らない、我慢のできない子供たちが多くなった。

 個人的な経験だが、あるイギリス人との会話で、私の当面する遺産争いに話題が及んだとき、彼は "universal" と形容した。どこの国でも遺産相続は兄弟のもめ事の種らしい。詳しい状況は込み入って説明し難いが、私と母親が半分ずつ持っていた土地家屋の母親の分を、兄弟姉妹が現金で払えと訴訟したのだ。全てを売却して分配することで和解したが、中々買い手が見つからない。そうこうするうちに改めて裁判を起こされた。これ以上待てないから競売せよと言うのだ。多少なり相続の争いごとがあると、血を分けた兄弟は、血を見なければ収まらないような関係になっていく。

 色々な理由があるだろうが、土地や建物は売られ、それまでの地域社会から抜け、市街地から周辺へと移住していく。街の中心部はからんぽになり、ゴーストタウンのようになっていく。仮に商店が残ったとしても、周りには顧客たる住民が、もはやいないのだ。たとえ中心商店街の再開発を計画しても、郊外に移った顧客を呼び戻すのは容易でない。行政の打つ手は常に後手後手で、そのうえ打つべき目標や手段を間違えているというのが実情だ。我がふるさとの市では、市の計画変更に悲観した商店主が自殺した例がある。シャッター街に明かりを灯そうとしても、もう手遅れかもしれない。


 

基地はどうなる

 民主党の大きな公約の一つに、普天間基地を海外移設、少なくとも県外移設というのがある。そもそも名護市、沖縄県、日本政府、米政府が14年もの協議を重ねて名護市辺野古キャンプ・シュワブ周辺に移設と合意したものを、最低でも沖縄の県外へと宣言したのだ。その結果どうなったかは、民主党の初代総理大臣であった鳩山由紀夫の、その後の迷走ぶりは国民の等しく知るところである。

 鳩山前首相は、母親から毎月1500万円という高額の小遣いを貰いながら、それを贈与所得として申告せず、使途についても知らなかったと表明し、基地移設問題の迷走と虚偽の政治資金報告書が問題となって、辞任に追い込まれた。私を信じてくださいと言いながらも、基地移設問題については、他人には知り得ない腹案なる逃げ口上を使うなど、前代未聞の醜態をさらけ出した。

 次の『日本語が危ない』で述べるように、日本国憲法9条で、国際紛争解決の手段としての武力行使を永久に放棄したのであるから、友好国アメリカといえども、武力行使を目的とする軍隊を日本の国土に駐留させることは、憲法に違反する。武力行使を目的とする外国軍隊は、日本国外に基地を置くなら、日本国憲法に抵触しないのだから、アメリカ領であるグァムなどに移設してもらえば、民主党のマニフェストも生きてくる。有言不実行の民主党の汚名挽回のチャンスだったが、却って泥沼にはまり込む結果となった。

 アメリカ軍の基地が沖縄の外に移設すると、基地に生活を依存していた人々の、その後が問題となる。彼らの声は小さいが、政治に携わる限り、小さな声にも耳を傾けなければならない。基地に代わるべき就労先を確保しないままでの県外移設の公約は、住民無視の政策で、民主党への支持率を引き下げることになる。

 日本はアメリカの核の傘によって守られていることになっている。だがその核はどこにあるのだろう。もし日本が仮想敵国に核攻撃されたとすると、どんなに早く察知したとしても、アメリカ本土からのミサイル攻撃では間に合わない。広島の何倍、何十倍の被害を受けた後で、相手を叩き潰しても、日本は壊滅状態だ。要するに、核の傘は、何の役にも立たないばかりか、仮想敵国の攻撃に口実を与えるだけだ。

 大方の非難は覚悟するが、私は非武装中立こそ、日本の生きる道だと信じている。国を愛するなら、他国の人々も自分の国を愛していることを知ろう。遺伝子レベルで考えると、国が隣接する両国の人々は、たとえ言語や民族意識が異なっても、兄弟のように近い関係にある。温暖化のために、このままでは人類の滅亡が恐れられる将来を目前にして、侵略など何の意味も無い。理想主義ではない。悲観主義だ。だからこそ、国々が互いに軍備を無くして、将来のために力を合わせることを願っている。軍事予算がゼロになれば、財政再建も容易になる。軍籍を離れた人で一時期失業が増すだろうが、好景気に支えられれば、解消されよう。



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掲載開始:2010年7月6日

黒猫シャノワール :


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